笠松港にある「京みちの道標」



  陣屋が置かれた笠松は、美濃の国の幕府政治の中心地であり、交通上も 

 大切なところであったんだ。中山道の茶所から分かれて、ここを通り、木 

 曽川を越え、一宮、名古屋への道を「名古屋道」または「名古屋街道」と 

 か「笠松道」といいました。                     

  将軍へ献上する鮎ずしや真桑瓜(まくわうり)を運んだ道でもあったん 

 だよ。それで「鮎ずし街道」とも呼んだくらいなんだ。そうそう、ここか 

 らお伊勢参りの近道が始まるんだ。木曽川にそって南へ行けば桑名を経て 

 伊勢に出るよ。西へ進めば京都への近道にもなっているんだ。ここを通る 

 旅人のため、天保4年(1833年)庄屋高島久右衛門という人はこの道 

 標を建てました。                          

  下の写真を見ると、ちゃんと書かれているね。もっとも、江戸時代のも 

 のではないみたいだけれどね。                    

  たまには、地域の歴史の勉強するのもいいもんだけれど、頭使って疲れ

 たよ〜。じゃあね・・・。                      

京みちの道標 京みちの道標